「たけつき」の雑記

動画編集の「あとがき」とか

【スクスタ2nd】高鳴るシンパシー 高まるエンパシー 「あなた」と「私たち」と「彼女たち」の認識祖語とキャラクター性

どうも、はじめまして。ラブライブコンテンツをゆるりと楽しんでいる「たけつき」と言います。動画関連の方、いらっしゃいましたら、こんにちは。こちらは制作動画とは関係ありませんが、妄想じみているのはいつものことなので、よろしければお付き合いください。

主人公「あなた」を主軸にメインストーリー2nd seasonを捉えてみよう


◆今あるものをどう受け取るか

さて、動画制作以外で文章を書くのは初めてですが、この記事で触れていくのは、ラブライブのアプリゲーム「ラブライブ スクールアイドルフェスティバル オールスターズ」通称「スクスタ」。
スクスタ界隈では何かとお騒がせのメインストーリーについてです。どうもあまり評価がよろしくない。けれどあまりに否定的になるのもつまらないので、「私たち」はこのストーリーに一体何を見ているのかを下地にして少し俯瞰してみたいなと思います。

ストーリーの面白さやつまらなさ、ゲームシナリオとして、文章としてどうなのかという批評はしません。どうしたら面白いのかという話でもありません。今あるストーリーをどう捉えるのかという話になります。否定的な要素に触れてはいますが、否定する趣旨の記事ではありません。逆に否定的な見解からの共感を求める方は趣旨が異なりますのでご考慮ください。

制作者側の力量や都合も一切踏まえません。これをやると思考実験として破綻するし、途端に面白くなくなるので(主に僕が)。

◆「あなた」と「プレイヤー」と「アイドル」たち
ではまず、この記事をまとめようと思った経緯ですが、僕は以下のようなツイートをしてまして、これを考えたのちに、彼女たちの関係を少し掘り返してみようと思った。というところです。

プレイヤーが名前を入力し、疑似的な自分としてゲーム内に存在する通称「あなた」とスクールアイドルである「彼女たち」、それを見つめる「私たち」の関係を、考えていこうと思います。

あなたが「空っぽ」であることの魅力

多くの意見を追いかけられている訳ではないですが、いくつか否定的な意見がある中で、「あなた」には人間味がない、共感できない。というものがあります。
ゲームシナリオの都合上、キャラクター名を設定した主人公であるがゆえに、あまり前面に出てこれない。強い主張をさせにくいという、構造上の問題には触れません。そこに触れると終わってしまうので……。

ランジュから見て「あなた」が空っぽに見えるのはどうしてか、というのはツイートした部分ですが、
 ・あなたがやっていることは自己表現ではない。
 ・メンバーの意見を深く取り入れ、魅力を引き出せる素養がある。
 ・自分の主張を抑え、受け入れる器としての「空っぽ」である。
という要素で空っぽに見えるのではないかという話です。
ではこの「空っぽ」であるが故の「あなた」の魅力とは何なのか。

◆「あなた」の能力と「彼女たち」の表現
そもそもメンバー全員の”あれがやりたい”ってエゴをくみ取って作詞作曲しようなんて、自分という人間性が強く、主張や表現を前面に出そうとする人間の出来る技じゃないですね。

それぞれの対象に向かい合ったとき、主観を含めず客観視して、論理的に自分の中身を作り替え、受け取り、出力できるようなロジックでも持ってないと不可能なのではないか、とも思えます。

この「自分の主張がない」もしくは「意図的に捨てることができる」というのが、多種多様な個性を持ったアイドルたちのそれぞれの主張を考慮できる思考の基礎であり、「あなた」の能力ではないでしょうか。

◆「あなた」がロボットに見える
確かに人間味がないと言えます。その都度、その子との関係、その目指すもの、それら変化のたびに、「あなた」の主張や中身が変わっているように見える。端的に言えば、前までと言ってることが違う!というやつですね。臨機応変にAIかロボットであるかのように、都度の最適解を出力するため、人間として一貫した主張がないようにも見える。でもこれは、中身が変わっているのではなく、そもそも「あなた」の中身ですらないわけですね。

こういう能力は、組織をまとめる立場ではある程度必要な能力です。これを「あなた」が同好会をまとめる立場上そうしてるのか、そもそもの人間性なのかはわからないですが、少なくとも自分の主張をある程度捨てないと、「全員を分け隔てなく」は出来ない。それができるがゆえに、それぞれのメンバーに即した出力を的確に行えるのでしょう。

まったく違う人間性のメンバー全員が全員、自分のために作ってもらった曲を受け入れ、それを自分の魅力として表現できるのは、「あなた」が自分の主張とは違う客観性や論理性を発揮して「彼女たち」に深く踏み込み、形どったものだから。かなりロジカルで機械的な思考なのだろう。もちろん悪い意味ではない。それがあなたの魅力であり武器なのだと思います。

◆「彼女たち」への感情移入
さて、さんざん「空っぽ」なり「中身がない」「ロボット」なんて言い続けてきましたが、これはもちろん「そう見える」という意味です。自分の主張をしていないからそう見えるんですね。

では「あなた」が自分の主張をしないというのは、どういうことなのか。
これは「あなた」は感情移入がずば抜けて上手いという部分に起因しているのではないでしょうか。

◆エンパシーとシンパシー
ここで言う感情移入は、虹色Passion!的に言うと「エンパシー」です。
感情移入って、対象をよく理解し「自分をそちらに寄せて」重ねること。つまりは対象が全く自分の価値観と違っていても、理解しがたいものでも、そこに寄せて理解を深めて近づき続ける能力ですね。

この感情移入と混同されるのが「共感」や「自己投影」と言われる「シンパシー」です。同じ意味で使われがちで、意味も似通っていますが別物です。これは与えられたものを自分に重ねること。自分が許容できないもの、自分と違ったものには共感や自己投影はできません。

どちらも同じ「自分と対象の同一視」だけれど、全く違います。
対象の理解に能動的になれないと感情移入はそもそも成立しません。これができる人間は大体の物を受け入れられる。自分を相手に寄せているため、その時点で感じ方や考え方が自分ではないんですね。
もちろんこれも、本当に自分ではない、わけではなくてそう見えるという意味です。

◆プレイヤーである「私たち」のエンパシー
この感情移入ができるのが「あなた」ではないでしょうか。
ランジュに何を言われても感情的にならないという側面も、蔑まれても否定されても、相手の言ってることも一理あると思えてしまう。対象に的確に感情移入できて相容れない主張でも相手の言い分を受けいれられるからですね。

「私たち」は果たして「あなた」に感情移入できるのでしょうか。
感情移入は相手の人間性ではなく、自分の能力に起因するので、できるかどうかは「私たち」次第なのだけど、これはかなり難しい。

「私たち」は感情移入と言いながら、高確率で「自己投影」をしていて、与えられた情報を自分が受け取れるかどうかで判断しています。
受け入れがたいものが現れたとき「感情移入できない!」となる。
正確には「自己投影できない」広義では「共感できない」となる。

では「私たち」は、「あなた」や「彼女たち」の何を見て、何を判断し解釈しているのでしょうか。

キャラ崩壊する? キャラクターへ寄り添う?


◆あの子がそんなことするはずない!矛盾している!キャラ崩壊だ!

これは、「私たち」が思っていたものからキャラクターが逸脱したという意味だけど、「私たち」が思っていたものとは何なのか。どこから逸脱したのかがこの問題の焦点です。

◆「キャラクター」の人間性
たとえば「キャラクター」を人間性を模したものと捉えるなら、状況の変化、対人関係の変化、自身の成長、環境からくる心変わり、多面性、によって過去から未来へ「キャラクター」が変化すること自体は不思議なことではありません。一見矛盾してようが、それは「私たち」の受け取り方が捉えれらる範囲での矛盾で、1人の人間が内包する多面性の切り取り方でどうとでもなってしまう部分ではあります。
この場合、あの子変わったなとなった時に「矛盾してる!」ではなく、何が彼女を変えたのか。彼女の根本に根差したものは実は何だったのかという考えになります。
つまりは、許容できない変化に対して、「私たち」が「彼女たち」に寄り添い、彼女はどうしてそう思ったのか、どうしてその選択をしたのか、どうして間違ってしまったのか、その矛盾は彼女にとって何なのか。そういうものをくみ取る努力、感情移入ができるかどうかになります。

ただ、描写が少なく唐突で変化が大きいと、どうして?となる。描写されていない部分を、変化した結果から推測して補完する必要があり面倒なので受け入れづらい。ここにキャラクターの内面が分かりづらいと言われる原因があるのはその通りだと思います。

◆「キャラクター」の属性
たとえば「キャラクター」を用意された記号、いわゆる「属性」と捉えるなら、求められるキャラクター性、属性から逸脱するのはご法度となる。つまりは好きだった属性の子が好まない属性になってしまった時点でキャラ崩壊なんですね。これは「彼女たち」という他人を「人間」として見ているのではなく、あくまで「私たち」が「自分の中にある属性」として捉えている状態ですね。これは自分と自分の好む属性との整合性であって、相手自身を考慮しない終始自己完結する矛盾になります。

つまり、キャラ崩壊の対象が、「愛でるための属性」であるならば、キャラ崩壊であり、「人間としてのキャラクター」であれば、自分の理解を離れたただの人間性の変化でしかない。
前者は完全に自身が望むキャラクター性との自己矛盾で、許容できるものではないけれど、後者は他人の変化をどう捉えるかなので、自分と他人との関係としては矛盾はしないかな。

◆「私たち」とキャラクター
「私たち」にとって、この物語のキャラクターは「愛でる属性」ですか? 個人として「存在し得る人間性」ですか?
ここで面白いのは、これがキャラクターコンテンツであり、どちらも間違っておらず成立してしまうところ。ただやはり「属性としてのキャラクター」の側面が大きいのは確かで、「あなた」を含む「彼女たち」の何かが気に入らないという意見が多いのはそれが故だと思う。
人間が動いた結果の物語なら、変化したキャラクター性は、どうして変化したのかという側面が強くなる。

まぁ正直なところ、こんなことを言う必要はサラサラなくて、好きなキャラクターが思い通りにならないという感情なので、気持ちをロジックでまとめようなんてナンセンスなのだけど。


「私たち」は「あなた」に共感できるのか


はい、端的に言えば、「できない」ですね。ただ許容できないものが提示されたときに、「あなた」「彼女たち」はおかしい!とする前に、ほんの少しだけ、その矛盾に見えるものが起こった可能性、もしかしたら「彼女たち」の中でこういう変化が起こったのではないか。と寄り添ってみるのも楽しみの一つなのではないかと思います。

「彼女たち」は、間違うし、迷うし、矛盾するし、理解できない

けれど、そうやって少しでも感情移入めいたものができるのならば、「私たち」は「あなた」に寄り添い、少しでも「彼女たち」を理解できるのかもしれないですね。

いまの「私たち」では「あなた」のように「彼女たち」に寄り添うことはできないけれど、いつか「彼女たち」の行動を理解できるなら、「私たち」は「あなた」に近づくのかもしれない。彼女たちを応援できるのかもしれない。そこに「あなたと叶える物語」があるのなら、楽しそうですね。

さぁ!高鳴るシンパシーと高まるエンパシーで、キセキが咲いて信じられるかもしれないので、行こう!明日へ虹のmelodies! ?? 何がw?

好きなもの


ストーリーに対する考察ではないし、面白くしたい、してほしいというものでもない。今あるもの、そこから続くだろうものを受け入れるなら、という前提の話ではあったけれど、お付き合い頂きありがとうございます。

これはすごく理屈っぽい話です。やっぱり人間、気に入る気に入らないっていう感情の影響は大きいし、そういう情動に基づいて思考されるのは仕方ないことです。

強い言葉で否定している人たちの純粋な気持ちを否定するものでもありません。考え方を変える必要もありません。ただ自身の気持ちを大事にしつつ、捉え方を変えてみるのも面白いんじゃないでしょうか。

スクスタをプレイしている人の中で、ストーリーを読んでる人なんてどれだけいるのかわからないけど、そんな律儀な人が、否定的でも肯定的でも、今後も楽しめることを願って。失礼させていただきます。

何かあればお気軽にどうぞ。
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